ハープ百科

ハープの歴史                  

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ハープとは
 弦楽器はツィター族とハープ族の2種類に分類することができます。これはハープを定義するのに重要な分類方法で、弦と響板の関係で分類しています。弦と響板が水平な楽器がツィター族、垂直な楽器がハープ族です。つまりギター、ヴァイオリン、琴などのほとんどの弦楽器はツィター族に入り、ハープ族はハープとリラだけになります。「千と千尋の神隠し」で一躍有名になったライヤーも垂直な弦を指で弾くことでハープと演奏方法が似ていますが、響板との関係でツィター族に入ります。
 美を構成する重要な要素であるシンメトリー(左右対称)は楽器にもあてはまりますが、ハープはどこから見てもシンメトリーでないきわめてユニークな楽器といえます。そのせいか、天使が持つ「天界のハープ」が同時に魔術的な楽器でもあったようで、昔から怪物、妖怪、悪魔の絵柄にもよくハープをあしらっています。童話の「ジャックと豆の木」でも悪者の巨人にハープを持たせています。
ハープの起源
 ハープの歴史は人類の歴史同様に古く、古代メソポタニアでは紀元前3000年にその原形が記録されています。ハープの起源が狩猟につかわれる弓であることは定説となっています。狩猟時代に誰かが、弓の弦を弾くと音が出ることに、さらに弦が短かったり張りが強いと音が高いことに気がついたのです。そこで弓に複数の弦を張ってみて、洞窟の中で皆に聞かせました。人類初のハーピストの誕生です。でも聴衆の中にはそんな何の役にもたたないものを考える暇があったら、もっと獲物が獲れる弓でも考えろ、と言う人がいたでしょう。この意見は全くの正論です。でも、この『何の役にもたたないもの』で遊ぶことに喜びを覚え、それを芸術にまで発展させてしまうのが人間の人間たるゆえんです。

中世からシングルアクションの誕生まで
 ハープはやがて音量を増やすために響鳴胴がつき、音程を安定させるために前柱がつき、と発展していきました。ヨーロッパでは10世紀ころからアイルランドやウェールズに現われ、吟遊詩人(仏のトルバドゥール、英のミンストレル)によってヨーロッパ大陸に広まっていきました。現在のアイリッシュ・ハープ、ケルティック・ハープです。主に朗読や歌の伴奏に使われました。金属や馬のたてがみ、革などの弦が使われ、やがて獣の腸(ガット)で作った弦にまで発展しました。13世紀のアイルランドではとくに重んじられて、国の紋章にまで描かれています。現在でもギネスビールにはハープが描かれています。
 さて、ハープはこれまで常に全音階(ディアトニック)の楽器でした。ピアノでいえば白鍵しかなく、半音が出せないのです。16世紀から♭や♯の調が急速に発展してくると、転調の必要からさまざまな工夫がされるようになりました。まずアルパ・ドッピアという二重のハープ(黒鍵にあたる弦を備えたもの)がイタリアで、フックで一本の弦を短くすることによって半音高い音がでる装置がチロル地方で作られました。1697年にバヴァリアの楽器製作者ホッホブリュッカーが5つのペダルをつけて転調が可能なハープを考案しました。やがて1720年にペダルが7つついた、シングルアクション・ハープの原形が完成しました。これが1728年にウィーンの宮廷に紹介され、翌年にはフランスに持ち込まれて次第にもてはやされる楽器となっていきます。この流行に輪をかけたのが1770年にフランスの王太子妃となったマリー・アントワネットで、自らハープを弾いて宮廷、サロンを中心にハープはなくてはならない楽器となりました。18世紀後半にはパリだけで58名のハープ教師と16名のハープ製作者がいたと言われています。主な製作者にクジノー父子、ジャン・アンリ・ナーデルマン、ルーヴェなどがいます。さまざまな試行や改良を重ねながら、ハープに彫刻やガラス細工が施され、金箔が貼られて装飾品としても完成されていきます。特にナーデルマンはマリー・アントワネットおかかえの製作者で、彼の作った楽器はパリ音楽院の博物館に展示されています。

ダブルアクション・ハープの完成
 ピアノ製作者として知られるフランスのセバスチャン・エラールは1811年、現在のペダル・ハープの原形となるダブルアクション・ハープを発表しました。きっかけは、転調や臨時記号の制約からハープの将来に危機感を持っていたハーピストのクルムフォルツが、フランス革命の混乱からロンドンに逃れていたエラールに相談を持ちかけたことでした。このハープの完成で、あらゆる調の演奏が可能になったばかりでなく、1オクターブの12音中の9音に異名同音ができるという副産物を生みました。ここからハープ独特のグリッサンドが可能となりました。これによってエラールのハープは急速にヨーロッパ中に広まり、最初の年に25,000ポンドで売り出されたハープは1828年までに3,500台を作ったと記録されています。
 それでもペダルハープは近代音楽の複雑な和音や大胆な転調に順応できないと不満を持つ人がいました。エラールのライバルであるピアノメーカー、プレイエル社の社長であったギュスターヴ・リヨンは、ピアノでいえば白鍵と黒鍵にあたる弦を二列にして途中で交差したクロマティックハープを1896年に発表しました。このハープは1900年にブリュッセルの音楽院に採用され、続いてパリ音楽院にもクロマティックハープのクラスが作られました。プレイエル社はブリュッセル音楽院のコンクール用にドビュッシーにクロマティック・ハープと弦楽のための「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」を依頼して作曲されました。これに対抗してエラール社はラヴェルに依頼してフルート、クラリネット、弦楽四重奏とダブルアクション・ハープのための「序奏とアレグロ」が作曲されました。しかしクロマティックハープは楽器の重さと音量に欠点があり、またグリッサンドはハ長調と変二(嬰ハ)長調でしか作れませんでした。1936年のリヨンの死去とともにこのハープは姿を消しました。

The Brian Boru Harp
13〜14世紀
マリー・アントワネットのハープ
H. Greenway製作のクロマティック・ハープ
パリ音楽院から見た演奏小史
 1811年にエラールのペダルハープが完成し、1825年に「音楽・演劇王立コンセルヴァトワール」(現在のパリ国立高等音楽院)にはじめてハープ科が創設されました。この年をもってハープの演奏がアカデミックな舞台に立ち、それ以降パリがずっとハープの中心地となりました。しかしハープの演奏法も一直線に進歩した訳ではありません。パリ音楽院の最初のハープ科教授は「7つのソナチネ」で有名なフランソワ・ジョセフ・ナーデルマン(前述の楽器製作者の息子)です。しかし最初のハープクラスでは、政治的な理由でシングルアクション・ハープが採用されました。1835年にナーデルマンが死去し、アントワーヌ・プリュミエがハープ科を引き継いではじめてダブルアクション・ハープとなりました。しかし彼は小指も使ってハープを演奏し、そのように教えました。3代目のラバール(大ヴィルテュオーソ、ゴッドフロアの先生)をはさんで19世紀後半の教授で前述のプリュミエの息子、アンジュ=コンラッド・プリュミエは生徒に、ハープは右肩だけでなく左肩にのせても演奏できるように練習することを勧めました。こうすれば二人の演奏者が同じ楽譜を見ながら弾ける、というのです。その次の教授が有名なアッセルマンで、彼はトゥルニエ、ルニエ、サルツェードなどの優れたハーピストを育てました。しかし20世紀に入ると1903年から30年ほどクロマティック・ハープのクラスも併設され、現在のペダルハープと奏法が落ち着くのは1936年からと言えます。しかしその後もグランジャニー、ラスキーヌ、ザバレタといった優れたハーピスト、指導者が輩出されました。その結果として近代から現代にかけてさまざまなテクニックが開発され、引き継がれていきます。
     注:現在はハープを右肩にのせ、小指をのぞく4本の指(両手で8本)で演奏します。
付録その1 ハープはじめて物語
オーケストラのハープ
 オーケストラにはじめてハープが使われるのはモンテヴェルディの歌劇「オルフェオ」(1607年)です。これはアルパ・ドッピオという二重ハープを指定してあり、かなりの名人芸が要求されています。しかも当時はハープを親指、人差し指、中指の3本(両手で6本)で弾きましたが、ちゃんと3本づつでも弾けるように書かれていて、モンテヴェルディがかなりハープに精通していたことがわかります。また歌劇で二人の歌手をいっしょに歌わせる二重唱もモンテヴェルディがはじめて取り入れました。
異音同名とハーモニックス
 ハープで異音同名を活用したのは、1777年ころのクルムフォルツです。「12の前奏曲」の中にシングルアクション・ハープに許された限りある異音同名を多用した風変わりなパッセージを挿入しました。またハーモニックス(倍音を響かせる奏法)をはじめて使ったのもクルムフォルツです。
グリッサンド
 グリッサンドをはじめて使った楽譜は18世紀末のFr. ペトリーニ(1744-1819)のいくつかの作品に見られます。しかしきわだっているのはパリッシュ=アルバース(1808-49)で、ダブルアクション・ハープからもたらされる多くの和音的グリッサンドを活用し、多彩な効果を生み出しました。さらに彼は、ある弦を弾いておいてから、その音に対応するペダルを踏んでできる「ペダルによるグリッサンド」(一種のポルタメントとも言える)も用いました。



付録その2 ハープの「たら」と「れば」
●ハープ協奏曲というとモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」とヘンデルの「ハープ協奏曲」くらいしか一般に知られていません。かんじんのロマン派以降に優れた協奏曲があまりにも少ないのです。そこで思いつくのが、ピアノとバイオリンで名協奏曲を書いたチャイコフスキーです。バレー曲では実に上手にハープを使い、「胡桃割り人形」ですてきなハープ・カデンツァも書いています。当時のロシアでチャイコフスキーに「ハープ協奏曲」を依頼するハープ関係者がいなかったのが何とも悔やまれます。もしチャイコフスキーがハープのために書いていたら、今頃は・・・。
●もしベートーヴェンが第九交響曲にハープを使っていたら、日本では今の二倍以上のハーピストが必要になっていたでしょう。第九を書きはじめた時にはウィーンでももうダブルアクション・ハープは普及していたのですが、すでに耳が聞こえなくなっていたので楽器のイメージをつかめなかったのでしょうか。交響曲にはじめてトロンボーンやピッコロを使ったのも、合唱を入れたのもベートーヴェンですし、新しいもの好きだった筈ですが・・・。第九の初演(1824年)のわずか6年後にベルリオーズが「幻想」ではじめて交響曲にハープを使ってくれました。しかも二台も!!

 

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